4合目 自分の心の高度を知る

4合目 自分の心の高度を知る

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http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/page03.htm


心の高度とは、上の図に示したように各性格タイプの心理的なダイナミズムを垂直方向に9つの段階に便宜上分けたものである。レベル1~9の段階ごとに『性格タイプの分析』の著者ドン・リチャード・リソが発見し、名付けたものだ。

(発達の諸段階が意味するもの)

<健全な状態が1~3>

レベル1は解放の段階

レベル2は心理的受容の段階

レベル3は社会的価値の段階

<通常の状態として4~6>

レベル4は不均衡の段階

レベル5は対人関係支配の段階

レベル6は過補償の段階

<不健全な状態として7~9>

レベル7は侵害の段階

レベル8は妄想と衝動脅迫の段階

レベル9は病理的崩壊の段階

人は通常、発達の諸段階の5のレベルで生活している。5を重心として6へ下がったり、4へ上がったりということを繰り返している。ある意味、心の均衡を何とか保っているのが4~6の段階なのだ。この通常の段階よりも上に登るか?下に降りるか?つまり健全な段階になるのか?不健全な段階になるのか?どちらにしても閾値を超えるエネルギーの注入が必要だという事である。そして、上に登るためには、下に降りるエネルギーよりもはるかに多くの意識的なエネルギーが必要となる。

このレベルから下がっていく不健全な段階(7〜9)は、神経症が進行している状態で、タイプごとに独特の神経症の症状に悩まされているという状況である。神経症の症状や、その処方については、精神医学専門書等に詳しく記されていることであるし、この本の主題は心の高度を上げることが目的なので詳しく触れるこのはないが、ストレスや病によって私たちの心は不健全な状態へと簡単に落ち込んでしまう。

 

私たちの普段の生活場所、それは家庭であったり会社であったり、その場所は山でも海でもない、ある一定の海抜高度を保っている場所、ここがレベル5の心がある地点だと思って欲しい。レベル4は、そこから山へと移動する。登山口のある場所、そこが心の山の入り口である。

心の登山口、各タイプ毎にそれぞれの心の山を登る訳だが、ここからは自分の力だけで登らなくてはならない。エニアグラムという心の地図を頼りに、タイプごとの道標に従いながら、頂上を目指して歩くことになる。高度がレベル3に上がれば景色は随分と変わる。視界は開け、より遠くまで見通すことができる。他の山もよく見え、高い山も低い山も、その姿をハッキリ見ることができる。

高度のレベル2では、心と体をその高さに馴らす必要がある。また体力、全身の筋力、特に心の筋肉もしなやかに鍛えなければならない。

 

反対に、レベル6の高度とは、身体が欲するものを求めるがまま海岸へ降りてきて、今まさに舵の無い船に乗り込もうとしている状態である。船に乗って海へ出てしまったら舵の無いあなたの船は水面を彷徨ってしまうだろう。舵のない船にしがみついて海を漂流している状態、これがレベル7の不健全な段階と言える。嵐がくれば波に漂う漂流船は、濁流の渦に巻き込まれて海底深く沈んで行くことだろう。

 

ダンテの神曲

 

紀元1300年、イタリアの詩人ダンテが『神曲』という叙事詩で歌い上げた地獄と煉獄の描写は、心の高度の在り方を示唆したものとして非常に興味深く、その物語の構造設定自体にも共通点が多々あると思われる。

 

ダンテの描いた神曲での地獄は漏斗状の階層として描かれている。一番底に大魔王のルシファー埋まっており、ダンテは導師ウェルギリウスに導かれ、地獄の底に向かって様々なおぞましい光景を目の当たりにしながら降りていく。そこには様々な地獄の形態があり、そこで苦しみを受ける歴史上の人物たちの様子や彼らとの会話によってこの地獄めぐりは進行する。

 

そしてこの地獄の漏斗状の形状は、まさに真っ暗闇の深海へと渦巻く神経症への重力の構造を表現しているように思う

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ダンテ地獄

地獄を目の当たりにしたダンテは、次の旅で煉獄という山を登ることになる。

紀元1300年、ダンテの神曲に描かれた煉獄の山。

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ダンテ煉獄

煉獄とは、生前に穢れた魂を浄化するための世界、そこは7つの原罪を清めるために登攀をしなければならない険しい山なのだ。案内するのは、地獄界を先導した先の詩人のウェルギリウス。地獄にしろ煉獄にせよ、盲目的に彷徨っていてはそこから脱出することは不可能である。ダンテは案内役が必要であると記したのであり。そしてこの煉獄の山を登る案内役と同じ役目を果たすのが、エニアグラムという心の登山地図ではないだろうか?

 

エニアグラムとエニアボール

 

エニアボールとは、2次元図形であるエニアグラムを球体に立体化したモデルで私のオリジナルアイデアだが、リチャード・リソらの発達の諸段階の概念を構造化している。

段階5が赤道面を表しているのは、この心の段階にいる人々の数が一番多く、タイプ毎の特徴も違いが明確になっている。そして心のレベルが上がる、もしくはレベルが下がると数が減るという概念も表しており、実際、健全な段階の上の方に行けば行くほど人としての良い部分が集約されて各タイプの特徴も共有されていく。逆に不健全なレベルへと降下していく場合は、各タイプは最終的には廃人、死という共通の結果に陥ることになる。

健全な段階へと登っていく過程は、ダンテが言うように煉獄の登山に例えられる。

「この山の恰好は下の登り口に近ければ近いほど登りづらく、上がれば上がるほど苦が減ずる。だからしまいにはまことに快適で登りがいとも軽妙になり、いわば舟で流れを下るようになる。そうなればこの径の終わりに着いたことになる、そこで疲れを休めるよう心づもりをするがいい。私がいまいったことは事実だ。これ以上はもう答えぬ」

 実際、レベル3から2、そして1へと登る道程は統合の方向へと各タイプを回る動きとなるのだが、その距離はレベルが上がるに従い短くなる。まさにダンテがウェルギリウスから教えられた通りである。

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エニアボールとトランスパーソナルシンセシス

ダンテと同じイタリア出身の精神科医ロベルト・アサジオリによって作られたサイコシンセシスという心の統合理論。アサジオリはパーソナルサイコシンセシスのみならず、その上位統合にあたるトランスパーソナルサイコシンシセスを唱えている。そしてそれこそがまさにエニアグラムの統合の方向にあるタイプの肯定的な資質を自らのものにしていくという過程を含んでいる。

 

その過程において、各タイプの原罪と向き合い、贖罪し、新たなステージへと登っていくことがセルフを統合していくことになる。

この統合という工程にはセルフ(自己)の中心が重要だが、これは円周上の1~9の真ん中、つまりここからでないと高くは上がれないということだ。逆に言えば、高く登るためには真ん中でないとだめなのだ。

この真ん中から高く上った先に、トランスパーソナルサイコシンセシスセルフが位置しているというわけである。

自分を理解し、互いを理解して他人のための心のスペースを空けておく。あまりも当たり前の言葉である「思い遣り」の精神。

少しでも多くの人々の心が健全な状態(レベル3~1)になること、そうすればこの世の中の軋轢は減り、もっと暮らしやすい世界になると信じている。

 

さて、あなたの心の高度は?

 

あなたがまだ生存への不安、安全への不安、社会の中で様々な恐怖に怯えているとするならば、段階5以下のレベルで生活しているといえるだろう。だとすれば、まずはその状態から物理的に逃れなくてはならない。環境を変える、対人関係を変える、自分を変えるなどドラスティックな変容が必要だ。

 

///そんな事は無理だ!///

 

しかし、変えなくては!と今の自分の心の状態に気づき、自発的に思考することが最初のスタート地点である。

そこから段階4に上がるための努力が始まるのだ!

先にも述べたように人は通常、段階5のレベルで様々なタイプの囚われに囲まれている。実際そのことにさえ気が付いていないのが普通である。9つのタイプの囚われから生じる軋轢や葛藤の中で自らも不安と怖れを抱き、自我の囚われの中へと沈んで行く。段階5での自我が採択する戦略は間違いなくすべて失敗に終わるのだ。

マズローの欠乏欲求が感じられる状態は、高度としては段階5から下のレベルにいると思ってよいだろう。欠乏欲求の中でも承認欲求の自分から認められたいという欲求が発動している状態であれば恐らく段階4の心の状態だと言える。

 

このブログを読み、何らかのアクションをしようと思っているのなら、今まさに段階4の心の高度だと言えるだろう。

段階4のレベルが、そこから上にも登れますが、下にも降りることのできる心の高度分岐地点なのだ。

下に降りる、心の高度を下げるということは、自我が発動し、自らの欲動のまま行動してしまうことである。

自我が自動的に発動する戦略を止めるには、あなたのタイプの囚われを意識し、あなたのタイプの統合の方向にあるタイプの良いところを意識的に取り入れるようにしなければならない。例えばタイプ7の場合、統合の方向にあるタイプは5になるので常に新しい刺激に反応してしまうタイプ7の欲動をタイプ5の特質である集中することへと意識的に行うのだ。自身を客観的に捉え、散漫になる気配を感じたならば集中へのスイッチを切り替えることを意識するのだ。これを出来る限り常に行うとそういう習慣が出来るようになる。これはいわば訓練と言うべきものだが確かに訓練が必要なのである。

ダンテが神曲で示した煉獄の山を登るように、、、




<コーヒーブレイク エニアグラムのウイング>

 

エニアグラムにはもう一つ重要な概念があります。それはウイングという概念で、自分の性格を支配する基本タイプと相補的に作用するもう一つのタイプが存在するということです。ただしウイングタイプは全く別なものではなく、基本タイプの両隣にある2つのタイプのうちの一つです。タイプ1ならウイングはタイプ9、もしくはタイプ2になります。

ウイングタイプの割合は、基本タイプが51%から99%に対し、1%から49%であると考えることができます。これはほとんど基本タイプだけで性格を説明できる場合もあれば、ほぼ半分近くウイングタイプの影響を受ける性格もあるということです。これだけの説明でも人間の性格の多様性がよくわかると思います。ここに発達の段階の概念が加われば、一人として全く同じ性格の人間は存在しないと言えるのではないでしょうか?

ドン・リチャード・リソとラス・ハドソンの共著『性格のタイプ 増補改訂版』では、ウイングの影響を受けた各タイプの詳細説明が記されていてその描写力には驚かされます。