8合目 高度順応

8合目 高度順応~発達の諸段階1~3を時間をかけて登る~


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エニアグラムの発達の諸段階を3から段階2、そして段階1へと登るためにはどうしたら良いのだろうか?

今あなたは発達の諸段階3から2のレベルまで登っている。ここから、より上の高度を攻めるには高度順応が必要である。

登山において高度が人に与える影響は非常に大きいと言える。

ウィキペディアによると、「地球の大気圏内では、高地への移動などにより高度が上がるにつれ、気圧や気温が低下し、人の呼吸に必要な酸素を含む空気が希薄になるためである。ヘモグロビンの酸素飽和度は、血液中の酸素の量を決定する。人体が海抜高度2,100mに達すると、酸素で飽和したヘモグロビンの割合は急落し始める。」とあります。そのため富士山などの3000m級の山を登るためには、その高度に体を慣らすための高度順応が必要になるのです。

心の山を登る場合も同じく高度順応の期間が必要なのだ!


高度順応と高度維持

段階3以上の心の高度を保つためにはどうしたら良いのだろうか?せっかく週末に山に登って心をキレイにしても月曜日からの仕事で俗世間の垢に塗れている間に、心はどんどん汚れて高度も落ちてしまう。何故なのだろうか?どうすれば心の高度を高く保てるのだろうか?


スティーブン・ピンカーの「心の仕組み」では、心も自然淘汰の産物であると言う。自然淘汰により狩猟採集時代からの問題解決に役立つように心も進化したきたのだ。人間は他人の心を直接理解することは出来ないが、他人の言葉や表情、仕草から相手が何を考えているのかを読み取る事が出来る。

嫌悪

恐怖

嫉妬

怒り

愛情

疑念

驚き

喜び

悲しみ

等々


スティーブン・ピンカーはこれらの情動についてある理論を提示している。

(心の仕組みより引用)

それは精神の活力源をエネルギーではなく情報とみる心の計算理論と、複雑な生体システムの逆行分析を必要とする進化理論とを結びつける。これから示すように情動は進化的適応であり知性と調和して働く、心の機能に欠かせない、よくデザインされたソフトウェアのモジュールである。情動が持つ問題点は、制御のきかない力であるとか、動物だった過去のなごりであるということではない。問題は、情動が遺伝子の複製を増やして伝えるためにデザインされたものであって、幸福や知恵や道徳的価値観を促進するためにデザインされたものではないというところにある。私たちはよく、集団の対人関係に有害な行動や、長期的にみて本人の幸福をそこなう行動、おさえがきかず説得も受け入れない行動、あるいは自己欺瞞の産物などを「感情的」と表現する。しかし残念ながらこれらは誤動作や不具合ではなく、よく設計された情動なら当然そうなると期待されるとおりの結果なのだ。

つまりは人も動物も生き抜くためには他者との軍拡競争を繰り広げなければならなく、相手を出し抜くための様々な戦略が互いに進化する。裏切りを見抜く、好意的な相手とは友好関係を築く、やられたらやり返す。そのためには複雑な思考と結びついた感情が、見せかけの情動や真の情動を進化させ、またそれを見極めるような感性を進化させる。

それゆえ私たちは他者の感情に共感したり、忌み避けたりということを知らず知らずのうちに行っているのである。

無意識的に社会や他人の影響に晒されて、過敏に反応してしまうのだ。

各タイプが根元的に持っている恐れや段階を下降するためのスイッチとなる感情。

心の演算理論では、信念とはメモリに格納された長期的な記憶と短期的な記憶から呼び起こされ、欲求として一連の演算が処理される。思考は演算であるという。

潜在領域に格納されている情念を含めて思考としての演算が行われる結果、半ば自動的に心の高度を低くする欲動が働き出すのだろう。この自動計算を止めるためには、自分の心の動きをモニターして自らの意思の力で計算をストップさせることが必要である。

また利己的な遺伝子が自らの複製を増やす目的ならば、血縁は淘汰を促進することになるわけで、家族という居場所は心地良くなければならない。家族との関係を意義あるものにするための努力は無駄ではなく、高度順応のための大きな助けとなるだろう。

同様に山や自然の中で出来るだけ長く過ごすことは、過敏な心をリラックスさせて心の高度を高く保つために有効な手段と言える。

 

パーソナルサイコシンセシスによる自我の統合

イタリアの精神科医ロベルト・アサジオリが唱えたサイコシンセシスという概念。セルフという自己を中心にして、その周りに様々な特質を統合していくという考え方である。

 

サイコシンセシス(第1章 p27~p28より引用)

(図)

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通常の生活のなかで私たちは幾重にも制限を受け、縛られています。つまり、錯覚と幻想の餌食であり、意識されていないコンプレックスの奴隷であるとともに、外的な影響によってあちこちへと弄ばれる存在であり、偽りの外観に分別を失わされたり惑わされたりしているのです。そういうわけですから、このような状態にある人間がしばしば不満足を覚えたり、不安を感じたり、気分や思考、行動が変わりやすかったりしても不思議はないはずです。直感的に自分が「一つ」であることを感じ取ってはいるものの、「自分と自分自身が分割されて」いる姿を見出すとき、人間はうろたえてしまい、自分自身や他者を理解することができなくなってしまいます。自分自身を知らないし、理解できないとすれば、自分自身をコントロールすることもできず、自ら犯した過ちや自分の弱さにひっきりなしに振り回され続けることになってしまいます。(略)

さて、人生におけるこの中心的な問題を解決し、人が人であるがゆえの根本的な弱さを癒すことができるのでしょうか、もしできるとすれば一体どのようにすればよいのかについて吟味してみることにしましょう。まずこのような奴隷的状態から解放されて、調和のとれた内なる統合状態に到達し、真の(トランスパーソナル・セルフにおける)自己実現を達成して、他者との正しい関わり合いに入っていくにはどうすればよいのでしょうか。(略)

 

(1)自分のパーソナリティについての徹底的な知識をもつ。

(2)パーソナリティにおけるさまざまな要素をコントロールする。

(3)自分の真のトランスパーソナル・セルフに対する実感に伴う気づきー統合する中心を発見する、あるいは創造する。

(4)サイコシンセシス(精神統合)ー新しい中心の周囲にパーソナリティを形成する、あるいは再構築する。

さて、まさにエニアグラムがそのための知識と地図となることがお判りだろうか?

この章、高度順応では(1)~(2)についての考察を行い、(3)~(4)のトランスパーソナルサイコシンセシスについては、

次の章、9合目さらなる統合へ向かって心の山を縦走する~エニアグラムのタイプの頂を縦走する~

において見解を述べたい。

 

では、

(1)第一段階 自分のパーソナリティについての徹底的な知識をもつ

から順に考察していくこにする。

振り返りになるが、これはまさに3合目の章で解説した「登る山を決める」による性格タイプを特定し、そのタイプごとの特徴と心理的なメカニズムをしっかりと理解することに他ならない。このことは、サイコシンセシスにおいてもその探索は可能であると述べられている。

 

サイコシンセシス(第1章 p30より引用)

個人でも独自にこの探索を行うことはできますが、他者の助けを借りればより容易に成し遂げることができます。どのような場合にしろ、純粋に科学的な観点から、最大の客観性と公平さを保ちつつ技法を展開していかなければなりません。偏った理論に左右されることなく、また自分自身の恐怖心や欲望、情動的なしがみつきなどによる隠された抵抗や、激しい抵抗のために途中で思いとどまってしまったり、迷ってしまうことがないよう十分自らを戒めなければなりません。(略)

このようにして私たちは、自分自身のなかにあるにもかかわらず、これまで知らないでいた能力や本当の資質や高次の可能性を見出していくことになります。これらの素晴らしい潜在可能性は、自らを表現する機会を求めているのですが、私たちの理解の欠如や偏見、恐怖などのゆえに、しばしば拒絶されたり、抑圧されたりしているのです。さらに、すべての人のなかに内在している莫大な未分化の心的エネルギーのたくわえも見出すことになるでしょう。このエネルギーは私たちの無意識領域における実在的な部分で、それをどう用いるかは私たちに任されています。無限大の学ぶ能力と創造力を私たちに提供してくれているのはこのエネルギーなのです。

これらの心的エネルギーを解放し、さらに心の高度を上げるためにはサイコシンセシスの第二段階である、パーソナリティにおけるさまざまな要素をコントロールしなければならない。

 

 (2)第二段階 パーソナリティにおけるさまざまな要素をコントロールする

 サイコシンセシス(第1章 p31より引用)

ー 脱同一化の技法 ー 心理的原則の一つ

私たちは自己同一化しているすべてのものに支配されます。私たちは自分が脱同一化するすべてのものを支配し、コントロールすることができます。

この原則には私たちが縛られて生きるのか、あるいは自由に生きるのかを決定する秘密が隠されています。弱さや過ちや、恐怖、あるいは個人的な衝動などに自分自身を同一化してしまうと、自らを制限し、麻痺させてしまうことになります。(略)

(a)有害なイメージやコンプレックスをバラバラにする。

(b)その結果解放されたエネルギーを活用する。

との記述がある。これは一体何を意味するのだろうか?具体的に何をどうすればよいのだろうか?

自らの性格タイプの衝動に気づくこと、客観的に自分を分析し、エニアグラムの統合の方向にあるタイプの肯定的な特性を自覚的に取り入れていくこと、現在の心の高度に応じた発達段階をしっかりと見極めて、意思の力によって自らをコントロールすることが何よりも重要になってくる。

 

(既出の発達の諸段階の説明より)

段階3~社会的価値の段階

二次的(派生的)な怖れと欲求への屈服に対応して、その人の自我は一層活動的になり、社会的・対人的な資質をもった特徴的なペルソナをつくり出す。自我もペルソナも防衛機制によって守られているため、まだ健全ではあるが以前ほどではなくなっている。この段階ではそのタイプが他人に対して示す健全な社会的特徴がみられる。性格、自我および防衛が影響を及ぼしているが、さほど均衡を欠いてはおらず、<根元的怖れ>を克服し<根元的欲求>に正しく基づいて行動することによって、段階1の機能を獲得する(あるいは取り戻す)ことができる。

タイプ特有の社会的価値を見出し、他者への貢献が見られる。

タイプ1では、行動指針と客観性

タイプ2では、寛大さと奉仕

タイプ3では、功名心と自己開発

タイプ4では、個性と自己表現

タイプ5では、知識と専門的能力

タイプ6では、現実参加と協力

タイプ7では、実用性と豊かさ

タイプ8では、権威と指導力

タイプ9では、安定と育成


この段階で統合の方向に向かってじっくり登り下りを繰り返すことで徐々に段階2、そして段階1の高度へとゆっくりゆっくり順応していく。

統合の方向とは、自分の基本タイプのさらなる統合と人格的成長を記すもので、

1→7→5→8→2→4→1と9→3→6→9で示される。繰り返しになるが自分の基本タイプから出た→の方向にあるタイプの健全な心理的特徴を自らのものにしていくことが、心の高度を上げるための地味な作業となる。


同様に、

(既出の発達の諸段階の説明より)

段階2~心理的受容力の段階

もし自分の<根元的怖れ>に屈服すれば、この段階では<根元的欲求>がそれを補償するために生じる。結果として、まだ健全ではあるが、<根元的怖れ>に屈服することによってつくり出された不安に対応して、自我とその防衛機制が発達し始める。自己感覚と「認識法」がこの段階で現れる。<根元的欲求>は、普遍的かつ心理学的な人間の要求であり、それに正しく基づいて行動すれば、各人の必要を満たし、また自己を超越するための鍵ともなる。

健全な心の状態で心理的受容力が発達し、自己感覚が現れる。

タイプ1では、理性が発達し、「合理的」であると感じる。

タイプ2では、感情移入が発達し、「人の面倒を見る」と感じる。

タイプ3では、適応力が発達し、「望ましい人間」だと感じる。

タイプ4では、自己認識が発達し、「直観力がある」と感じる。

タイプ5では、観察力が発達し、「洞察力が鋭い」と感じる。

タイプ6では、感情からの義務が発達し、「人に好かれる」と感じる。

タイプ7では、反応力が発達し、「幸せである」と感じる。

タイプ8では、自己主張が発達し、「力がある」と感じる。

タイプ9では、受容力が発達し、「平和を好む」と感じる。

 

段階1~解放の段階

<根元的怖れ>と対決し、それを乗り越えることによって解放され、自己超越の状態へと動いて自己を実現し始める。逆説的であるが、同時に自分の<根元的欲求>を達成し、それによって自分の真の必要を満たし始める。さらに、タイプによって異なる特別な精神的資質と長所が現れてくる。これは理想的状態で、個人が最も健全な状態にあり、均衡と自由を獲得する。

この解放の段階の心の高度で最高峰に至るといえる。


タイプ1では、洞察力に優れ、寛容になっている状態。

タイプ2では、無欲で、利他主義

タイプ3では、自己容認が進み、真正さが現れている。

タイプ4では、自己改革の末、創造性に溢れている。

タイプ5では、理解力がずば抜けて、様々な発見をする。

タイプ6では、自我確認でき、勇気を持つ。

タイプ7では、環境と同化し、感謝の念に溢れる。

タイプ8では、自制が利き、他者への愛情に満ちている。

タイプ9では、沈着さが周囲を平和にし、達成の境地に至る。


各段階で高度順応をしっかりと、じっくりと、ゆっくりと行うことが大切であり、あなたの心と身体が一つになり、ストレスに負けない健全な状態を維持することが可能になる。実際の登山においても高度順応に必要なのは、充分な時間と酸素(呼吸)と水(水分)と休息(睡眠)なのだ。

 

<コーヒーブレイク 呼吸のエネルギーの仕組み>


呼吸とは、食物として体内に取り込まれたブドウ糖(C6H12O6)を細胞の中で酸素(O2)を使って燃やし、エネルギーを得ることです。酸素は血液のヘモグロビンによって細胞へ運ばれます。では、ここでいうエネルギーとは何でしょうか?

呼吸によってエネルギーが得られる仕組みをもっとミクロな視点で見てみると、酸素という強力な酸化剤がブドウ糖から電子を剥ぎ取り(酸化反応)、剥ぎ取られた電子は細胞内のミトコンドリアの内膜の中で呼吸鎖と呼ばれる4つの分子複合体に順番に受け渡され、電子の流れが起こり、ここでの連鎖的な酸化還元反応によってエネルギーが放出されているのです。この放出されたエネルギーをいつでも使えるように保存する仕組みが必要です。1929年、カール・ローマンがその仕組みを発見しました。それはATP(アデノシン三リン酸)というアデノシンが3つのリン酸基と鎖状につながった不安定な形状をした分子から、末端のリン酸基が一つ外れると大量のエネルギーが発生するというものでした。

ATP → ADP + P + エネルギー

ATP ← ADP + P + エネルギー

エネルギーの通貨と呼ばれるこのATPを合成するために、呼吸が必要なのです。

その合成の仕組みは、呼吸鎖の4つめのATP合成酵素プロトンポンプによってATPを生み出します。

簡単にまとめると、ブドウ糖から剥ぎ取られた電子がミトコンドリア内の内膜内で呼吸鎖に受け渡される時の酸化還元反応で生じたエネルギーによってミトコンドリアの内膜の内側から外側にプロトン陽電子)を汲み出します。結果、膜を挟んで内側と外側にプロトンの濃度差が生じ、濃度の高い外側にプロトンが貯まることで(ダムによる水位差を使った水力発電の仕組みのように)電位差とpH濃度差を利用してATP合成酵素を駆動させてATPを産生するのです。