9合目  さらなる統合へ向かって心の山を縦走する

9合目 

さらなる統合へ向かって心の山を縦走する

エニアグラムのタイプの頂を縦走する~

 

山の稜線に沿って縦走を楽しむ。360度の展望を見ながら北アルプスを縦走したい。森林限界を超えて、見渡すと青空から差し込む太陽に照らされて輝く、幾つもの頂へと続く尾根道。

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エニアグラムの発達の諸段階3から1に向かって、登り下りを繰り返しながら高度順応をしっかりと行うことが必要であると述べてきた。

統合の方向にあるタイプの健全な心理的特徴を自らのものにしていくことで、各段階を上に向かって登っていくことが可能になると説明してきた。

 

1→7→5→8→2→4→1 と 9→3→6→9

 

自分の基本タイプの山からスタートして統合の方向にある山を一つ一つ登っていく。発達の諸段階の3から2、1を統合の方向に向かって縦走することで人間としての全人格を統合することが出来るのだ。いわば人として生まれてきた本質が輝きだすのである。

ここで、1→7→5→8→2→4→1 と 9→3→6→9 を比べてみると、その距離に違いがあることに気がつく。

最初のパターンは自分の山に戻るのに五つの山を登ることになる。心の山を統合するために、より多くの山を縦走しないといけないわけである。もう一つのパターンでは自分の山に戻るまでに二つの山を登れば良いわけだがよく考えてみよう。山登りにおいて、同じ高度まで登るのに距離が短いと言うことは登り角度が大きいことを意味する。つまり急登をしなければならないということだ。

これは登るのにより多くのエネルギーが必要だということである。

多くのなだらかな五つの山を登るのと急登で二つの山を登るのと、結局は同じくらいの時間が必要だと言うことだ。

どちらの心の山の縦走をするのかは、あなたのエニアグラムの基本タイプによる。そしてどちらの縦走も、それなりにエネルギーと時間がかかる。

だが、自分の基本タイプ以外のタイプの特性を知り、それを自らの性格として統合していくことができれば、人としての健全な全人格を手に入れることになる。

 

サイコシンセシス(第1章 p34~p35より引用)

(3)第三段階 自分の真のトランスパーソナル・セルフに対する実感を伴う気づき

ー 統合する中心を発見する、あるいは創造する ー

 

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サイコシンセシス

ここで達成されるべき目標は、パーソナルな意識をトランスパーソナル・セルフの意識領域にまで拡大すること(図2に示すように)星へとつながる糸あるいは光線を伝わって高みへと登ること、そして低次の領域をトランスパーソナル・セルフと統合することに他なりません。しかしこれは文字通り、言うは易し、行うは難しの至難の業です。この目標の成就は壮大な課題を構成することになるはずですが、道のりは長く、また確かに非常に骨の折れる行程となるでしょう。すべての人がこの道を歩む準備ができているわけではないことも付け加えておかねばなりません。とはいえ、私たちの普段の意識領域という低地にある出発点からトランスパーソナル・セルフの実現化という輝かしい頂上に至るまでの間には、いくつかの中間点があるのです。段階に応じてさまざな台地が広がっていますから、途中で力尽きてしまった人や、意思の選択によってそれ以上の登攀を諦めた人たちは随意の場所で休憩したり、その場所を住居に定めて住みついてもいいのです。

さあ、ここまで登って来て、心の頂上を目指す明確な指針がイタリアのサイコシンセシスの著者ロベルト・アサジオリによって示されたと言える。

心の登山

心の登山は降りなくてもいい。どんどん昇って行けばいい。どんどん高度を上げて行けばいい。時にはのんびり休んでもいい。様々な心の山登りを楽しめばいい。

第一章で述べたこの言葉にも、信頼性が担保された。

パーソナル(自我)をエニアグラムによって統合し、真のセルフ(自己)を確立する。そしてセルフの上方に位置するトランスパーソナルセルフ(超越的自己)との統合を目指す事で更なる心の上昇が可能になるのだ。 

サイコシンセシス(第1章 p37より引用)

(4)第四段階 サイコシンセシス(精神統合)

ー 新しい中心の周囲にパーソナリティを形成する、あるいは再構築する。 -

統合する中心を見出すか、あるいは創造することができると、次はその周囲に新しいパーソナリティ、つまり首尾一貫した、秩序のある、統合されたパーソナリティを構築していくことになります。(略)

新しい中心とは、意識の中心である私ではなく、その上方にあるトラスパーソナル・セルフのことを示している。それはその人が理想とする目標を外部に投影し、その理想イメージとつながることでトランスパーソナル・セルフとの接点を得ようとするが、その理想化されたイメージは、カレン・ホーナイ神経症のメカニズムで述べた「理想化されたイメージ」ではない。

私たちが描き出す「理想のモデル」あるいはイメージにもいろいろあるものですが、基本的には二つのタイプに大別できると思われます。はじめのタイプは調和のとれた発達や全人格的なあるいはトランスパーソナルな完成を表すイメージとして描き出されます。(略)

二つめのタイプは特殊な能力を示しています。(略)芸術家、教師、何か良いことの推進者などの理想のモデルはこのタイプに属するものといえます(略)

いったん理想のモデルの形態を選択したうえで、実用的なサイコシンセシス、すなわち新しいパーソナリティの実際の構築作業が始まります。サイコシンセシス(第1章 p39より引用)

ロベルト・アサジオリが述べている二つの理想のモデルのうち、私がここで説明をしているのは正に前者のイメージである。エニアグラムの統合の方向にある各タイプの性格の良いところを順に回ることで、パーソナル・セルフの中心が定まり、そしてその上方にトランスパーソナル・セルフが輝いているということだ。高く登るためには、中心をしっかりと真ん中に根ざしておかなければ上がることは出来ない。

 (エニアボールとサイコシンセシスの統合された図)

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ドン・リチャード・リソ著『性格タイプの分析』(p320〜本質と発達の諸段階より抜粋)

本質と<発達の諸段階>との関係は、視覚化することができる。

本質の中に生きるためには、私たちは<統合の方向>に向かって動き、そこで発見される健全な<諸段階>を完全なものにして、さらに上方を目指していかねばならない。

人が性格の否定的な側面から解放されるにつれて、本質が姿を現してくる。もっと適切に言えば、本質と性格の均衡は、より多くの自我が本質(つまり、正確には存在の深奥から)によって生きるまで、性格から本質の方へ移動する。その一方で性格は有益で必要な道具として使われるようとどまっているが、それは単に、より深い本質的な自我ーそれが「本質の中に生きること」であるので、突き止められないまま残っている自我ーの拡張と表現としてだけである。性格が普通の日常生活の中で自我を表現することがなければ、私たちは互いに意思を通わせることはできないであろうし、究極的には、自分自身の本質さえ失われ、あるいは、現れないままになるであろう。

このように、性格は本質と同じように必要であり、世界の中で生き、世界に貢献するために用いられなければならない。性格は私たちの本質を示現するが、その優れた面は、それぞれのタイプごとに第一から第三段階で見ることのできる「健全な」性格の状態である。加えて、自分自身が発達するにつれて、これらの性格の状態それ自体が発達して本質的自我のより優れた表現となる。ひとたび統合が始まり、もっと自然に本質の中で生きるようになれば、私たちは自我の支配者となり、次第に自分自身を自由に、かつ適切に表現できるようになる。もはや自我が私たちを支配するのではなく、本質が自我を通して語ることになる。

この心の高度では、閃き、つまり直感に任せることが可能になる。今この瞬間に心を開いているだけで、思考に正解が自然に生じてくる。答えが、言葉としても行動としても上から降りてくるような感覚。

わたしは個人的にはエニアグラムの全性格タイプを周りきる必要はないと思っている。それよりも各タイプの健全な潜在能力を前向きに活用できるだけでも、充分に心は軽くなり、自由にどこへでも行けるようになる。

目の前の景色は以前とは違い、より高みから遠くまで見通せるようになるのだ。

あとは楽しみながら、足元の花や草、季節ごとの木々の彩りと揺らめき、太陽と風のハーモニーを味わいながら、山頂での景色を存分に楽しもう。

 苦行で山に入る修験者を否定するわけではない。それはその人なりのスタイルでいいと思う。私たちは自分のやり方で普段の山登りと同様、心の山登りを楽しむべきである。

 

とは言うものの、トランスパーソナルセルフとの心の統合というその先の道があるのならばその場所からは一体何が見えるだろうか?

新たな、まだ見たことのない全く新しい景色への誘いが待っているのだろうか?

 

神曲においてダンテが煉獄の山を登り終えて辿り着いた地上の楽園には、清流が流れ、優しい風が吹きわたっていた。かぐわしい大地には花々が咲き、小鳥が囀っている。

 

「・・・息子よ、おまえは見た。そしておまえが着いたこの地はもはや私の力では分別のつかぬ処だ。私はここまでおまえを智と才でもって連れてきたが、これから先はおまえの喜びを先達とするがよい。峻険な、狭隘な道の外へおまえはすでに出たのだ。正面に輝くかなたの太陽を見ろ、草花や樹々を見ろ、ここではすべてが大地からおのずと生えている。涙を流しておまえを連れて来るように私に命ぜられた美しい喜ばしい目をした方が見えるまでは、おまえは座るのも自由、草木の間を行くのも自由だ。もうこれ以上は私の言葉や合図に期待してくれるな。おまえの意志は自由で、直くて、健やかだ。その意志の命令に服さぬことは過ちとなるだろう。だから私はおまえをおまえの心身の主として冠を授ける」

 この表現はダンテにそれまで付き添い、導いてきたウェルギリウスが最後に語りかけた言葉なのだが、ダンテがパーソナルセルフの頂点、つまり最高の自分の位置にまで登ってきたことを表しているのではないだろうか?エニアグラムでいう発達の諸段階の1の状態、解放のレベルだといえるだろう。神曲ではまだこの続きがある。この後ダンテは、導師をウェルギリウスからベアトリーチェに換え、天国編の旅が始まる。あえて言うならば、トランスパーソナルサイコセンシセスからの導きがベアトリーチェという姿となってダンテを最高の自分のさらに上へと誘うだろうか?

 

私自身、未だ心の山を登っている真っ只中であり、頂上は見えず、統合への道程はまだまだ長い登坂となりそうである。ですが、この先の景色が楽しみであり、心は軽やかである。

ありが登山(ありがとさん)、ご苦労山(ごくろうさん)、お疲れ山(おつかれさん)

足の踏み場になってくれる石に、取っ手のように突き出ている木の根に、台風で横たわっている倒木に、ありがとさん、ごくろうさん、おつかれさん、と声をかけながら山を歩いている。自分の右足に、左足に、筋肉に、細胞に、ありがとさん、ごくろうさん、おつかれさん、と心の中で唱えながら山を歩いている。友と語らいながら、すべてのことに感謝しながら、今、山を歩いている。少しずつ、一歩ずつ、心の高度を上げながら心の登山を楽しんでいます!

 

気づきによる知識と経験の血肉化

知識は意識の焦点を変え、思考の変化を促し、そこに気づきが生まれる。気づきは思考の選択肢を増やし、思考の選択肢が増えると新しい行動に繋がり、それを意識の力で訓練することで習慣化される。これが知識と経験の血肉化である。(6合目でも述べました)

血の化 肉の化 素骨の化(ちのけ にくのけ すこつのけ)

さまざまな知識を血と化し、さまざまな経験を肉と化し、そして最終的にはそれらを削ぎ落して骨と化す。

この言葉を最後に、この章を終えたいと思います。

 

<コーヒーブレイク>

~播隆上人の槍ヶ岳開山~

槍ヶ岳を開山した播隆上人のことを小説にした新田次郎氏の作品を紹介したいと思います。

 

新田次郎槍ヶ岳開山』

江戸時代

米問屋の手代であった岩松は、富山八尾(やつお)の一揆打ち壊しの際に誤って最愛の妻、おはまを自ら手に持った槍で刺し殺してしまう。後悔と懺悔と、どのみち普通の生き方は出来ないという諦めの思いもあり、出家して修行僧として生きる決心をする。

飛騨の椿宋(ちんじゅ)和尚を訪れた岩松は、そこから上方、宝泉寺見仏上人の元で修行をすることになる。岩仏という名を授かり、托鉢や瞑想など四年間という厳しい修行を経て、一念寺 誉和尚によって播隆に改名、その後三年間の間、念仏行者として諸国を遍歴した。伊吹山の岩窟で乞食坊主と石を投げつけられたり、幾多の山で瞑想したりするうちに、体つきはいかめしくなり、その風貌にも威厳が現れてきた。本人はそのようなつもりはなかったが、周りが播隆を上人様と崇めるようになり、やがて椿宋(ちんじゅ)和尚の事業僧としての構想に巻き込まれて、笠が岳の再興に踏み出す。見事、笠が岳の山頂に立ち、再興を果たした播隆は、そこでブロッケン現象による虹の光彩の中に立つおはまを見た。おはまはやがて遠くの山に消えて行った。その消えた先に聳え立つ山こそが未だに誰も登頂したことがない槍ヶ岳であった。

それからの播隆は、槍ヶ岳開山に向けて、個人的には再びおはまに会うため、天下のためには五穀豊穣を祈り、槍の穂先に立つため、協力者を取り付けてそれを実行していった。

1828年、7月28日、ついに播隆は槍ヶ岳の頂を踏んだ。故郷の八尾の村を追われるように出てから15年の月日が経っていた。祠を作り仏像を安置し終えた播隆の前に再びおはまが現れた。それは五色に彩られた虹の輪の中の阿弥陀如来として姿を現した。やがて如来はおはまとなったが、その眼差しは播隆へ向けられた憎悪の目のままだった。許しを請うために一心不乱に念仏を唱える播隆の願いは届かず、おはまは白い霧の影の中へと消えて行った。

おはまの許しを得るため、また誰でもが槍ヶ岳に登れるようにするため、鉄の鎖を槍の絶壁に掛ける事業に邁進する播隆。58才の時に念願は叶うが、槍ヶ岳への善の鎖をかけるための調査登山の際に凍傷で失った足の指や老体での過酷な登山や念仏修行の反動は、播隆をおはまの元へと導くのであった。

 

この小説は播隆の槍ヶ岳開山という偉業を縦軸に、亡きおはまへの思慕と後悔、そして弥三郎という播隆に執着する商人をはじめ、播隆を利用して名を成したい地域の有力者、徳念と柏厳尼という二人の弟子の禁断の恋、これらの人々に加えて、貧しい百姓たちの暮らし、現代とは違う生きにくさなどを織り込んだ話となっています。特に天保という時代背景は飢饉による不作や幕府への不満、堪り兼ねた農民による一揆などが行われたという、今よりもずっとずっと貧しい時代です。

人々にとっては生きて行くだけでも大変な時代、マズローの欲求段階では生存欲求、安全欲求を満たさなければならない一番低次のレベルであり、エニアグラムの発達の緒段階では段階6ー7ー8ー9への神経症から死に向かう螺旋の中で、もがいている状態と言えるでしょう。

そんな中、播隆は仏の道を志し、念仏行者として修行を重ねるうちに心が鍛えられ、段階3の高度へと登ったと思われます。まだ岩松を名乗り、八尾の一揆で怒りに任せて槍を振るってた時は段階6の高度、そこから悔いを改めるために出家を決心した時が段階4の高度と言えるでしょう。おそらくエニアグラムの基本タイプが1である播隆は修行も一切の手を抜くことなく、懸命に行ったと思います。

天保の大飢饉の際に、苦しみに対する怒りを他者(物持ち、名主、代官)に向けていた神経症的な百姓たち。鬱憤をはらす対象がもうなくなったその時、そこに現れた播隆に捌け口を見つけて、竹槍を持って襲いかかろうとします。向かってくる集団の竹槍に対して、戦うでもなく、逃げるでもなく、ただ正面に受け入れて対峙した時の播隆の心の高度は、解放の境地にいたのかも知れません。

播隆は竹槍に向かって歩を進めながら、死を恐れているのでもなく、死を望んでいるのでもない、遠くに行った自分の心を追っていくような気持ちになっていました。自分の差し出した槍の前に、自らの身体を差し出したおはまは一体どんな気持ちだったのでしょうか?


人の心は通常、心の重心を段階5のレベルに置いて、上下一段階の振れ幅で揺れ動いています。天保の大飢饉のような未曾有の厄災に襲われたならば、人としての心の重心は落ち込みます。

播隆のように厳しい修行を積み、槍ヶ岳開山という大きな目標、遣り甲斐を見つけて一心不乱に己を捧げることが、心の高度順応を可能にしたのでしょう。

 

小説の中で播隆が法話の際に、笠ヶ岳再興の話に触れる時、

「私は念仏行者ですから、諸国を念仏しながら歩きました。岩窟にこもることもありましたが、今度の笠ヶ岳再興で私は山へ登ることが瞑想に(精神統一)近づくことのてきる、もっとも容易な道のように思われるました。山の頂きに向って汗を流しながら一歩一歩を踏みしめていくときには、ただ山へ登ること以外は考えなくなります。心が澄み切って参ります。登山と禅定とは同じようなものです。それは高い山へ登って見れば自然に分かって来ることです。なにかしら、自分というものが山の気の中に解けこんでいって、自分がなんであるか、人間がなんであるか、なぜ人間は死なねばならぬか、そういうむずかしい問題さえ、自然に山の気が教えてくれるようにさえ思われて来るのです。そのような境地は登山によって身を苦しめて得られるのではありません。登山はけっして苦行ではなく、それは悟りへの道程だと思います」

 と述べています。

この語りは、私に新しい力を与えてくれます。ただ純粋に山に登ることが、心の修行、自然に心を鍛えることに繋がるのです。

 

また播隆は、生きるために念仏を論じながら一心不乱に生きようとすることと、一心不乱に山に登ることとが同じであるとも語っています。

槍ヶ岳の開山にあたり、

「山を登ることは人間が一心不乱になれることです。一心不乱にになって念仏が唱えられる場所が登山なのです。悟りに近づくことのできるところなのです。悟りとは何事にも心が動かされなくなることです。死を恐れなくなることです。われわれは凶年の山をまだまだ登らねばならないでしょう。一心不乱に登るのです。けっして凶年に負けてはいけません、登るのです。」

 このように論じて法話、説教の中で槍ヶ岳の開山の意義を説いていた播隆ですが、槍ヶ岳への善の鎖掛けを果たし、自身の最後を予見すると、中田又重郎と穂刈嘉平に次のように漏らしています。

「私は、槍ヶ岳開山について、いろいろまことしやかなことを云ったり書いたりしたが、そのどれも本当のものではない。槍ヶ岳開山の意味が本当にわかっている人は、最初からこのことに尽力して来たあなた方お二人だけだろう。山は登ってみなければ結局は分らない。私もほんとうはまだ分かっていないが、もはや登れなくなった。どうかお二人で私の後を継いで下され、槍ヶ岳の絶嶺にかけた鎖をお守り下され。」

 

山頂 空へ〜心の山頂からさらに上へ  に続く

心の山頂へのアタック